kimagureguren’s blog

現在は雑記です。自分の人生に責任をもつ練習中です。仕事を楽しむために工夫中です。twitterのIDは@kimaguregurenです。

見ないでください

きまぐれぐれんです。

久しぶりに書きます。ブログを中断した理由は書くことが息苦しくなったからです。自分に嘘をつくことはやめました。書くことがないのに無理やり捻り出して生み出した記事がつらい。日々、感情を押さえつけてなかったことにして蓋をした思いが徐々に蝕んでいきます。全部受け止められるほど強くなく、かわせるほど賢くなく、自分を守るためにできた唯一の方法でした。ですが限界があります。なかったことにはできない。いずれ向き合わなくてはいけない。日常生活に支障がないように少しずつ向き合ってきましたが、無意識化に留めていた思いが有意識にまででるようになり、なにをしていても怖い。仕事はミスが許されないため確認してもしたらず不安です。大丈夫と言い聞かせて大丈夫なふりをしています。物事に集中できず、どう見られているかが気になります。役に立てないならまだしも、迷惑を掛けている自分が情けないです。こんなふうな自傷行為でさらに自分を追い込んでいることも分かっています。そういった癖が魂のレベルまで到達したら生きながらには生きてはいないのだと思います。


太陽の日差しを浴びて、暖かさを感じられることが嬉しいです。風が吹き抜けて揺れる草木もひらひらと舞う蝶も。ただ在ること。それだけ。雨打つ日も鳥は生き、羽ばたく時をただ待つ。川の水は上から下にながれて海へ。


そう感じられるときに少し呼吸が楽になります。


あんなふうに働くことに喜びを感じない。自分を追い詰めているのは凝り固まった概念でしょうか。皆凄い。私は生きるために働くことさえできない。受け取る側から渡す側になりたくて踠いて。現実を目の当たりにして。自分がいないほうが役に立てる。そう思えて止みません。やりたいこととできることと出来ないことのバランスと距離感が離れていて苦しいです。


自分が最も求めているのは世界からの安心感と世界への安心感


自分が狡猾であることに絶望し、頼らなくては生きていけない無力感に苛まされ、自分の力で生きていくことを諦めた。その結果が現在で。生きることがどれ程困難で危うく儚いことであるかに直面してどうすることも出来ず。時が経てば大人になれると思っていた。浅はかな考え。大人になることを求めてもなれるかはあやしい。


自分の弱さと向き合うことを少しずつできるようになってきた。だからこそ感じられる痛みなのだと。子供だと認識して、変えていく強さを身に付けている途中経過。


図書館で借りた本『結局、自分のことしか考えない人たち』を読み進めていますが、非常に興味深く、抉られる。

私は3歳児未満の成長で止まっているようです。何故なのか理解しつつあり、分からず。この生きづらさをなんとか出来るようになれてもまだまだなのだと思います。今日はこの辺で。



あなたの幸せを願い、応援しています。